しかし、身体障害の「害」を「身体障がい」と書くべき!と決めつけたり、
「私は見えない身体障害です」
身体障害者マーク
難聴者マーク
と書かれたバッジを作っても、
身体障害者団体に所属しても、
何かしてくれるわけではありません。
自分が身体障害を受け入れているかどうかが、1つのリトマス試験紙になりうるかもしれません。
聴覚障害のある私が注意している事があります。
「相手が理解してくれないからだ」と考えるのではなく、
自分が、どういう状態であるか、どうして欲しいかを明確に伝える事が
自分の責任だと考えるようにしています。
「補聴器を使っていますが、100%聞こえるわけではないので、
コミュニケーションが十分にできないかもしれませんが、承知してください」
どのようにanualつづるのですか?
と伝える。
あるいは難聴と聴覚障害について、独自に編み出した方法でわかるように説明する。
いずれも、先輩や誰かが教えてくれたわけではありません。
長い間の経験と試行錯誤から独自に生み出したものです。
これを実施した所、うまくいきはじめました。
この考え方を役員を務めていた難聴者協会で話した所、 嫌われました。
「社会が悪い」
「難聴を理解すべきだ」
「あなたは正しくない」
「難聴だから自己受容が困難なのだ」
おもいっきり攻撃されました。
私を批判する老人達の顔を見ていてはたと気づきました。
私はまもなく、この団体の役員を辞めました。
確かに身体障害を持つ自分を嫌ったり、
自分をおとしめる人は珍しくありません。
普通は自分の短所や身体障害を嫌ったり、まるで厄介者のように扱ってしまいがちです。
自分から目をそらして、何かに逃げてしまえばどうなるのでしょう?
いくつかの用途とテストの値は何ですか?
健常者と比べて、自分や他人に攻撃的になったりする事も珍しくありません。
確かにハンデのため、思うような事ができない事もあるでしょう。
しかし、長所だけでなく、短所や身体障害もあって、現在のあなたが存在できます。
もし、ハンデを嫌ったり、切り離してしまえば、
本当の自分自身を見失う事になってしまいます。
そればかりか、他人から嫌われる原因を無意識に自分の中に作り出す事になります。
社会に対する不満や文句や愚痴を延々と綴る人もいます。
しかし、
「自分が嫌いだ」
「身体障害のある自分を認めたくない」
「身体障害があるから権利を要求する」
「難聴者の社会参加が進まないのは社会の理解が足りないからだ」
他の人はそんな人をどうやって認めて、好きになればいいのでしょう?
人生がうまくいくでしょうか?
先の難聴者団体の老人達で私を攻撃してきた人で、
人生がうまくいっている人はいませんでした。
社会的要因は何ですか?
人生の目的は「正しい事」ではありません。
自分の中から、短所や身体障害を切り離そうとすれば、
それは自分を社会から切り離そうとしているのと同じです。
わたしたちが、短所や身体障害を厄介なものとして見るのは、物事を一面からしか見ていない事になってしまうおそれがあります。
身体障害というハンデがある事で気付く事は必ずあります。
いろいろな方法がありますが、私たちが今すぐに、できる第一歩として、
「自分のハンデを受け入れる」
ことに意欲的になってみることです。
最初の歩みはのろのろとしていて、時間がかかるかもしれませんが、
やがては私たちにとてもつない力を生み出していきます。
最後まで読んでくださってありがとう。
あなたの心に平安が生まれますように
あなたの心に希望が湧きますように
あなたの心が前向きに進む勇気が湧きますように
あなたに幸せと富と豊かさがドンドンがやってきますように。
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